閑散記

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『絡新婦の理』感想(ネタバレあり)

京極夏彦『絡新婦の理』を読み終えました。

文庫版 絡新婦の理 (講談社文庫)

文庫版 絡新婦の理 (講談社文庫)

 

 「これどんな本?」と聞かれたならば、ひとこと「最後まで読んだら絶対また最初に戻って読む本!」と答えますね。

そうなるように作っているのだとは思いますが、それでも、こんなにも冒頭へ戻りたくなる作品はそうそうないんじゃないかと思います。めちゃくちゃ長かったですし、重かったですが、むしろそれが嬉しいと思えるほどおもしろかった。

でも、おもしろかった!!!!という感じではなく、おもしろかった……という感じ。穏やかさ半分、尻すぼまり感半分……。読み終わってから2、3日は言いようのない尾を引く気持ちがあって、何度も後半と冒頭を読み返しました。とても、穏やかで美しいラストだったので、決してもやもやしているわけではないんですが、なんというか、事件の陰惨さがそうさせたのもありますが、真相をぐるぐる考え込んでしまったんです。これを書いている今も、いまいち頭の中がすっきりしていないので、感想を書きながら、整理していこうと思います。

今回は、このシリーズを読んではじめて泣きました。泣かされました。榎さんによって。榎さんのストレートな言葉って胸に響くんですね。知らなかったです。聖ベルナール学院で行われた憑き物落としの中で、絞殺魔である杉浦隆夫さんの罪や女性性への気持ちが暴かれ、妻である榎さんの依頼人・杉本美江さんの憑き物も落ちました。そこへ至る榎さんのひと言!

「当たり前です檜山さん!」

この言葉!名前全然違う!でも榎さんはどこまでいっても榎さん!杉浦さんは杉浦さん!カモメはカモメ!的な気持ちになりました。なんだか気分爽快でした。男とか女とか、そんなことどうでもいいじゃない!名前なんてどうでもいいじゃない!この台詞で一気に涙がぶわっと出ました。わたしからも何か落ちたような感覚でした。

それから、涙だけではなく、思わず笑いそうになる場面も。蜘蛛の手口の例えで出た御不浄の話と、関口君のビンタの話がおもしろかったです。ニヤニヤしながら読んでいました。このシリーズで泣くのも珍しいと思いましたが、笑いそうになるのも珍しいんじゃないでしょうか。というか、関口君はずっとどこにいたんですか。油を売っていんですか。まだ出ないまだ出ないと言っていたら、最後のおいしいところだけ持っていきやがってという感じじゃないですか。

そして、関口君が出てきてからが、整理が必要になってくるところです。蜘蛛の真相を語る京極堂の発言で、特に気になったところが3点ありました。

1つ目は、織作の家に関して

京極堂は、そうさ、消えるのさと言いました。「そうさ。家などと云うものは妖怪と同じだ。名付けなければないに等しい」「いいのだよ。あの家の呪いは僕が解いた。解けてしまったんだから、家もなくなるんだよ」とも発言しています。これがよく分かりません。この時、関口君はまだ五百子刀自が蜘蛛だと思っているので話が噛み合っていないのが惜しいです。蜘蛛は織作の家を消したかったのか?それが蜘蛛が京極堂に負わせた役割だったのか?体を差し出す家というものをなくしたかった……?

2つ目は、榎さんの眼を躱す方法

榎さんの眼には、人の心が映るわけではなく、記憶だけが映る。意識的に榎さんに見える情報を操作することは出来ない。「だからね、そのまんまの情景を素直に告白するのさ。そしてその情景──記憶に別の意味付けをする。榎木津はそう思うしかないからな」と京極堂は言い、その例えで関口君のビンタの話をしだしました。これは、どの部分のことを言っているのか。直前に織作雄之介の印鑑の話をしていたので、悩みましたが、これは、織作家の家政婦・セッちゃんが見つけた手紙に押されていたという別の話で、蜘蛛による手紙の偽造について言ったまでですよね。

考えられるのは、織作家での憑き物落としの最中に、一度榎さんが茜さんの肩を捕まえて「──嘘か?それとも──間違いか?」「君の本意はどこにある。僕はそう云う駆け引きは苦手だ。正直に──云いなさい」と言ったシーンです。ここで茜さんは素直に嘘を認め、川島喜市に茂浦の小屋で会ったことを白状します。榎さんの眼を躱すといったら機会はここしかないはず。しかし、別の意味付けとはなんなのか。

京極堂と関口君が二人揃って蜘蛛の巣館に着く前の会話で、志摩子さん、伊佐間屋さんが目潰し魔・平野にやられた時の話をしています。上手く出来ていると。榎さんの眼を躱す方法を言ったことは、この辺にかかってくるのかなと思いました。茜さんは、茂浦の小屋で川島喜市に会ったことは白状しましたが、その内容は全く違うものだったのでは。また、榎さんは「その男に会っているね。酷く親切にしている」と発言しているのですが、その男自体が川島喜市ではなく、平野?ということも考えましたが、榎さんは平野の姿を見ているはずだしさすがに違いますかね。でもだいたい、こんな感じかなと、この問題はなんとなく自分の中で解決させました。

3つ目は、蜘蛛のしたかったこと

京極堂と関口君の会話、京極堂と蜘蛛──織作茜さんが桜の舞う中でした会話、その全てを読んでみても、結局のところ、何がしたかったのか、ということが分かりません。茜さんは柴田勇治さんと縁談がありましたが、その後、勇治さんも殺してしまうということでした。一番善い場所で何がしたかったのか。そして、最後には、もう一度己の居場所を見つける、岩長比売の裔として生きる、それが絡新婦の理だと言っています。

茜さんは自分の居場所が欲しかったということですよね。織作家には居場所がなかった。おそらく茜さんは本当の織作の人間。抵抗から家を出て、働きながら学校に通う。それからRAAに志願。その後茂浦の小屋で売春をしている。結婚後は性交渉はなく、ひどい夫にも関わらず離婚もせず泣いて縋り付く。柴田さんと結婚しても殺す。

居場所が欲しいにも関わらず、一人になりたいかのようですね。子供を産むことが怖い?いや、産めない?織作家がある限り、長女が死んで次の当主は自分。家がある限り存続させなければいけない。でも子供を産めない?だから家をなくした?だから性交渉の必要がない夫と離婚しなかった?だから柴田さんと結婚しても殺す?蜘蛛には姑獲鳥の側面があるようなことを京極堂が言っていたのでそんなこともあるかも?

でも、蜘蛛の理とは?一番大事なところが分からないなんてどうなんでしょう。ごめんなさいとお詫びするしかないです。

 

整理しようと思って感想を書いたのですが、まだ蜘蛛の網にかかっているようです。お望み通り何回も読みたいと思います。こんなに考えた本ははじめてです。おもしろかった……。